TL;DR

自分で動く物じゃないと参るに違和感がある。

本編スタート

アプリケーションに新機能を追加したのを文書により通知するのでこれでいいかとPDFファイルが送られてきた。

そこには「〇〇すると(アプリより)通知が参ります」と書いてあった。この表現に違和感を覚えた方もそれなりにいると思うし、自分もそうだった。しかし、パッと(文法的な)理由が思い浮かばなかった。どういうことだろう。

Fediverseに投げてみると、秒速で「通知の擬人化(はおかしい)」と返ってきた。確かにそうだろう。参りますの用例を考えてみると、「また明日二時に―・ります」(スーパー大辞林)など参るのは人であって無機物ではないだろう。

しかし、その隣には「お客さま,お迎えの車が―・りました」(スーパー大辞林)という用例もある。自分も擬人化が問題だろうという考えはあったが、即座に「電車が参ります」ってアナウンスでよく言ってるじゃんってなったので却下した。

電車も車も人ではなく、乗り物が乗客等に対して敬意を払ってるのか?という問題になってくる。こういう疑問を持った人は他にもいるようで、以下のような知恵袋等も出てきた。

さてどうしよう

これに対して擬人化路線で結論を付けるなら、「それが擬人化しても許されるレベルで重要ならそれを謙譲させても良い」あたりになるだろう。辞書の用例や電車の用例において、お客さまに対してサービスを提供する側からしたらその乗り物はサービスを提供するための生命線たりえるものであるから、電車を下げて相対的に相手(客)を上げるという用例が広く認められていると考えよう。

確かにアナウンスで「電車が参ります」なら理解できるが、電車を待っている部下が隣にいる上司に対して「まもなく電車が参りますから〜」は若干違和感がある。

では、通知は擬人化するレベルではないのだろうか。参るは「行く」「来る」の謙譲語だから、通知の他に行ったり来たりするシステム関係の用語を探してみたが、どうも見当たらない。アップデートが来るなんかはこれも通知と似たようなもので、あまり解決に結びつく例ではない。

重要度によるとか、そんなに曖昧な物なのだろうか。

結論

そもそも「来る」の意味を調べてみよう。スーパー大辞林によると、

  • ① 話し手のいる方へ近づく。(ア): (話し手と動作者とが別の場合)話し手が今いる場所,または話し手の領域にやってくる。自分のいる方に接近・到着する。
  • ③ 物が運ばれて,話し手のもとに到達する。

とある(抜粋)。ここの用例で何かが動いた気がした。

  • ①(ア)の用例「『こっちへこい』『客がくる』『やっと電車がきた』」
  • ③の用例「『ミロのビーナスが今度また日本にくるそうだ』『やっと返事がきた』『先月発注した品物がまだこない』」

擬人化云々で出てきた「電車」は見ての通り①(ア)に、「通知」は返事とかだと思えば③に該当するだろう。

結局のところ、③の説明からして「運ばれているかどうか」ではないだろうか。ほぼ擬人化の範疇だとは思うが、ひとりでに動きうるかどうか、つまり空間を動くための動力を持つかどうかによるのだろう。別の見方として、「機械が動く」以外の意味でrunが使える主語なら基本「参る」にできるとも言えるかもしれない。

例えばエレベーターに乗ったときに「上に参ります…ドア閉まります」とか自動音声が流れるが、あれも結局はエレベーターが自力で上方に移動できるからこれに違和感を覚えない。

最初「乗り物かどうかでは?」と冗談めかして考えていたが、案外当たっていたのかもしれない。我々のイメージでは通知それ自身は The Internet の雄大な流れによって受動的に移動するというわけだ。

以上である。
まぁ、日本語の専門家ではないので合ってるかも何も分からんし、専門家からしたら議論の余地なく当たり前なのかもしれないが。